私がバイクで走り出すきっかけとなったWGPライダー、ワインガードナーについて少し。
1986年、私がバイクに興味を持ち始め行き付けのバイク屋さんで見たテレビ画面の中に一際目を引いたライダーがいました。
ロスマンズ・カラーのNSR500 ゼッケン4 オーストラリアの選手はファイティング・スピリッツにあふれ、
熱くなるにつれて次第に姿勢が低くなってくるのです。
豪快にコーナーの立ち上がりでリアタイヤをスライドさせて行くその姿に私は一目で惹かれてしまいました。

1986年のガードナー
この年のNSRはスペンサーの意見が多く取り入れられている「フレディー・スペシャル」で、ガードナーも苦労していたようです。

そして1987年、ガードナーは世界チャンピオンに!
この年のNSRはガードナーの意見を多く取り入れ、ガードナーの大きな力になりました。
非常にステディな闘い方でした。
このシーズン、表彰台の中央にはガードナー、マモラ、ローソン以外は乗れないという凄い展開でした。

1989年 この年、ヤマハからエディ・ローソンがホンダに電撃移籍。
1988年型NSRの基本設計の悪さからのトラクションの不足により思うような成績を上げられず、ランキング2位になっての1989年でした。
このフォームがガードナーです!
低く、アグレッシブに!

1989年は相次ぐ転倒、マシントラブルによりランキングは10位に


この年のオーストラリアGP フィリップアイランド
このレースは後に語り継がれる熱戦でした。
ガードナー、ドゥーハン、レイニー、シュワンツでのトップ争い。
序盤、ガードナーは痛恨のハイサイド。何とか転倒は免れたがマシンのシートに戻る際、アンダーカウルのステーが破損。その後、ガードナーはいつ外れるか判らないマシンを駆らなければならない事に・・・
各コーナーでカウルは激しく路面に接地。大きな穴が開いてしまいました。
それでも最後の力を振り絞り、そのまま優勝!

私事ですが私のCBRとレーシング・スーツ、ヘルメット、ブーツはこの時のフル・レプリカです。
でも・・・私は遅いです(汗)


1992年WGP開幕戦 日本 鈴鹿GP
新型エンジンを搭載したNSR500は好調な仕上がりを見せる。
オフシーズン中に精力的にマシン開発に参加したガードナーは確かな手応えを感じていた。
決勝 雨
序盤で転倒したガードナーは驚異的な追い上げを見せる。
しかし逆バンクで無念の転倒。
不運にもコース脇のクラッシュ・パットの下に体が入り込み、足を骨折。
イギリスGPでは華々しい復活劇を演じるがGP引退を表明した。
ガードナーの印象を強く日本人、世界に知らしめた鈴鹿8時間耐久レースもこの年で引退を表明した。
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